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    インタビュー

    勝村久司

    勝村久司
    前中央社会保険医療協議会委員、高校教諭、連合「患者本位の医療を確立する連絡会」委員

    ——2004年の中医協の贈収賄事件で、連合選出の委員が収賄の罪で逮捕されました。委員構成の見直しを含む中医協改革が行われた中で、連合は支払側委員として勝村さんを推薦しました。

    勝村: 私は公立高等学校の教諭で、連合の組合員ですが、連合の取り組みを初めて知ったのは、2000年に「領収書をくださいカード」が全組合員に配られたときでした。組合役員をしていた友人が電話で、「これ勝村がやっていることと一緒やないか?」と教えてくれ、とても驚きました。

     その後、国会の中で初めて連合本部の人と会う機会があり、それから連合の会議やシンポジウムなどに何度も呼んでもらいました。いくつかの構成組織の勉強会にも呼ばれ、レセプト開示の意義や患者本位の医療の重要性などについて話す機会をいただきました。

     そして04年、中医協の贈収賄事件をきっかけに、委員の見直しを含む中医協改革が行われ、支払い側委員として、患者の立場で初めて私が入ることができました。声をかけてくれたのは連合です。大阪まで来て、丁寧に説明してくれて、すごく熱意を感じました。自分に何ができるか分からなかったけれど、せっかくのチャンスを生かすべきだと思い、快く引き受けました。委員になった05年4月当時、マスコミでも「中医協で初の患者代表」と報道され、注目されました。しかし、1億人もいる患者を代表することなどできるわけがない。私の役割の第一は、患者のためになる保険点数を自分が直接つけることよりも、将来、全国の患者が中医協委員になれるようにすることだと考えました。そのためには、受けた医療行為の単価がそれぞれいくらなのか、中医協が決めている保険点数の中身を普通の人でも分かるように国民に知らせていくことです。それが自分の第一の役割だと決めました。

    ——2011年4月まで6年間、中医協委員を務められました。お疲れ様でした。この間、医療の情報公開は着実に進みました。

    勝村: 2006年、08年、10年と3回の診療報酬改定を経験しました。この中で、明細書の発行は一歩ずつ前進してきたのですが、徐々に要求を上げていったわけではなく、最初から一貫して同じ内容を求めてきました。正直に言うと、最初の06年改定の時に、一気に実現できるかも知れないと期待したこともありました。当時、ほぼすべての全国紙の社説は、患者への医療費の明細書発行は当然だと主張し、世論は完全に味方になってくれました。しかし、そう簡単ではありませんでした。この時は、すべての医療機関に「小計」が分かる領収書の発行が義務化されました。「検査料=○点」「投薬料=○点」という各項目の点数を領収書に記載しなければならないということです。連合が97年から「領収書をもらおう運動」で求めてきた成果も大きく、確かに一歩前進しました。でも、それではどんな検査や投薬が行われたのかまでは分かりません。患者にとって必要なのは、レセプトに記載されるような、さらに詳しい情報です。しかし、小計の領収書の発行だけでも医療側の抵抗は非常に大きく、2年後の改定に向けた準備に取りかかろうと頭を切りかえました。

     08年改定では、レセプト処理をオンライン化している400床以上の病院で、患者から請求があった場合に発行を義務づけることになりました。しかし、明細書を請求できること自体を多くの患者が知らなかったため、実績は上がりませんでした。それでも当時の野党議員が国会で追求した結果、厚生労働大臣が国立病院については全患者に無料で発行することを約束し、その他の病院でも、希望すれば発行されることを患者に周知するポスターが掲示されたりしました。その後、各新聞の家庭欄などでも明細書のことが取り上げられ、少しずつ関心は高まっていきました。

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